今のハニーの礎を築いた選手で、チーム名も彼が考えたことはあまり知られていない。
中学時代は主に投手として活躍。
ハニーのチームメイトでもある吉田圭太とは中学時代からの同級生で、当時バッテリーを組んでいた。
その後八王子実践へ進学するも、最後の夏に惜しくもメンバーから外れてしまい、不完全燃焼のまま現役生活を終えてしまう。
そんな現役時代を過ごした高坂には、当時から密かな野望があった。
(現役を引退したら草野球チームを作ろう)
そうして仲間と共に八王子実践の同志を募り出来上がったチームが、はちみつハニーの前身M・H・S(ミス・ハニー・セット)である。
その中で高坂はチームのエースとして勝利に導いていくと誰もが考えていた・・・が、既に彼の右肩は寿命を迎えていた。
草野球チーム設立後、初めて参加した公式戦(マルハンドリームカップ<現:MLBドリームカップ>)で先発し完投勝利を飾り華々しくデビューするも、それがハニー最初で最後の先発登板。
以降も中継ぎとして肩の痛みと戦いながら投げ続けるが、全盛期のストレートは最後まで戻らなかった。
それでも、2011年までは野手としてほぼ全試合に参加し、ハニーが人数不足で運営困難な時代を支えていく。
特に卓越したバットコントロールと積極的な走塁で、2008年と2011年には打撃タイトルを獲得。野手としても十分な戦力になることを証明した。
2012年以降は地元を離れ都心部で生活を始めた関係から、参加頻度は激減。
それでもハニーのメンバーとして選手登録をされてる以上、2019年も最低1試合の参加を目指す。